私の身近に、80歳になる美容師がいます
美容歴ほぼ60年の現役です
自力で来店される事が困難なお客さんには送迎もします
もちろん自分で運転
組合の総会にもちゃんと出席し、たまに東京の問屋にも行きます
そして、3・11の津波にも負けませんでした。
私の母です。
私と同じように実家で美容院を営んでいます
おかげさまでとくに病気を患っているわけでもなく、
たまに「肩が張った」 「今日は少し変」 「ヒザがさわる」などいう事はありますが
腰も曲がらず、パッと見70歳前です(^^;
38歳の時、3男である私を産んでくれました
物心ついた時から家に美容室があり、いつ学校から帰っても誰もいないという事もなく
いつもザワザワした音が居間に聞こえていました
小さい頃には店の中をチョロチョロし、いろんなお客さんが声をかけ、
可愛がってくれたのも憶えています
年の瀬には夜遅くまで仕事をしていました
それが過ぎるとキレイな着物がしばらく居間にズラッと並びます、成人式の支度のときは立ち入り禁止です(^^)
そして中学か高校の時からか・・私にとって「恐怖のロット出し」が始まります( ゚Д゚)
いわゆる店の”お手伝い”です
さすがにその年頃になると抵抗ありました(>_<)
店に「こんにちは」といって入り、年配のお客さんにひととおり質問を受け、
ワゴンの横に立って スポイト、ペーパー、ロット、ゴムの順で渡し、スティックをさす
この数十分間の一連の作業がイヤでイヤでしょうがなく
小遣いを期待しなければやる気が起きませんでした
ただ、それまでのおかげもあり自分が美容師を始めるにあたって何ら抵抗無くできました
美容師の技術と接客を間近で感じる良い経験だったと思います
生前、オヤジがこう言ったことがあります 「少し一緒に店をやってやれ。」
その想いもあり、銚子での勤めを終えたタイミングで5年近く実家で仕事をしました
母は・・トシもトシなので、その任期終えたら幕引きかなぁ とも思いました
そして私は独立、その2年後には東日本大震災、
津波が押し寄せ、実家は店を含む1階全部泥だらけのしっちゃかめっちゃか・・・
さすがの母も呆然とし、かける言葉もありませんでした
しかし!! 店の小さいロットやクシ、機械類についた泥を洗いながら
「これは使えるよな・・・」
といい始めました
こ、この人まさか・・・
何かあると母の引退を考えていた私が申し訳なく感じました
皆の協力もありなんとか復活、今に至っています
きっとお客さん方の要望にも応えたい想いがまだあったんだと思います
そのお客さん方も年々人生の役目を終える人も多く、
その度に喪服に着替える母のさみしそうな顏を見るのは、いまだに慣れません・・・
むかしはワイワイにぎやかだった店も今は1日に1人か2人、
それでも寂しくなんかは無いと思います
お客さんのパーマの待ち時間に出前とり、テレビやレーザーカラオケ、
近所まで来たついでの休憩所、大したコミュニティルームです( ^^)
無理せず自然に合わさってきたペースがあるからこその継続、
健康でいられることもできると思います
「持ちつ持たれつ。」
一緒に仕事をしている時に衝突し、締めくくり母に言われた言葉が湧き上がります
まだまだ80歳!
いけるとこまでいったれ母ちゃん!!