あるお客さんとの出会いがきっかけで、ずっと考えていたことがありました。
それは「髪の毛」について、です。
わたくし美容師なのであたり前といえばあたり前なのですが・・・
髪の毛の”存在意義”みたいなこと、です。
つまり、現代人における髪の毛の位置づけ。
生態学的に言えば、そもそも頭部を外的衝撃から保護するため、人間にとって一番大切な「脳」を守るために、身体の中でも最も多く”毛”が存在していることは皆さんご存知だと思います。
遠いむかし、人がまだ狩猟生活をしている頃は当然ヘルメットも無く、生活の中には危険が溢れ、獣(けもの)相手に狩りをし、棒のような物で人同士が争ったりしている中で、頭髪もだいぶ本来の役割を担っていたことを想像できます。
しかも、「ヒト」の発祥がアフリカだといわれるように、アフリカンの方々の頭髪の状態がいまだに太く丈夫で、密度が高く、さらに弾力性が保てるように丸まっているのが特徴です。
ちょっとやそっとの衝撃は吸収してしまいそうです。
そんな、そもそもの存在理由がある髪の毛、
それを現代、とくに日本人における「髪の毛」の位置づけを真剣に考えてみました。
まず、美容室(理容室)での”剪定”や”加工”することにおいての価値観が思いつきます。
多くの人がそれを選択し、わたくしはそれを施す人間でもあります。
美容室に行きカット、カラー、パーマ、ストレート、トリートメント、セット、その他の技法を使って髪の毛を変化させ、所有する人の心を楽しませ、充実させていく事のできるもの、としての役割を持っています。
最近ではエクステンションやウイッグなど、他人の髪の毛を装着させるまで、バラエティーに富んできました。
また、清潔感を出したり、雰囲気づくりのような、身だしなみとして他に印象づけることもでき、趣味や好み、自分を表現するパーツとしても有効にはたらいています。
専門家にとってはもちろん、アート(芸術)として表現している方も多くいらっしゃいます。
もはや、「脳」を保護するという役割は時代とともに無くなり、環境や体質の変化にも馴染んだものとなりました。
そう考えてみると、あらためて位置づけする現代においての「髪の毛」とはさしづめ・・・
「娯楽」と「芸術」
といったところでしょうか
「楽しむ」ためと「表現」するため、
の役割です。
そのことを前提に、これから私の一番伝えたい事を書きます。
お客さんの中には、
皆さんの中には・・・
”娯楽”とは対照的に、自分の髪の毛に対して、
「成す術のない悩み」として抱えこんでしまっている方もいます
・寝ても覚めても自分の髪が大嫌い
・他人の髪を見るたび嫌な気持ちになる
・毎朝が辛い
・髪の毛=苦しみ
・・・・・・。
先述したように、髪の毛は「楽しむ」ものです。
悩んだり、苦しんだり、蔑(さげす)んだりするものではありません。
そして誰かと取り替える事もできません。
美容師の謳う、根本的な「髪質の改善」「自然治癒」、
それは本質的な部分で・・・あり得ません。
だから、楽しんでしまうしかないと思います。
そしてまた、髪は、多少は傷ませたっていいんです。
微塵も傷ませちゃいけない、なんて思わなくても大丈夫。
そのために生え変わるということをしてくれているわけです、
あなたを苦しませるためにあるわけでも、生え変わり続けているわけでも・・・ありません。
どうか、自分の髪をゆるしてあげてください。。
髪は、「絶対に傷ませないで」なんてことは言ってません。
「治癒能力はありませんが、そのかわりに何度でも、新しい髪を伸ばし続けることを約束します」
「どうか、あなたの楽しみの一部として役に立たせて下さい」
「カラーリングしようが、矯正しようが、シリコンで覆っていようが…あなたが楽しんでくれているならそれでいい」
「私の存在を否定することだけは、しないでください」
そう、望んでいる気がします。
髪の毛を大切にすることが、ただ傷つけないことが、その人の幸せになるのか?
その人の楽しみとなるために、幸せの一部となるために、髪に役割りを持たせるのか?
バランスも必要ですが、きっと、後者なんだと私は感じます。
最後に―
自分の髪に対する大きな悩み、小さな悩み、それらを『解消』していくことも、われわれ理・美容師の役割の一つです。
私がそれらをないがしろにして、「もうあきらめて」などと言っているわけでは、ありません。
まずは前提として、髪の性質を含む自分自身を素直に受け入れていただきたい
自分を見失ってしまわないでもらいたい。
そんな想いでいっぱいです。
わたくしも、一美容師として、世情に流されず、これからもお客さまの”気持ち”と真剣に向き合っていきたいと思います。