「真の自己愛とは、ありのままの自分を愛することである」
どうしたの!? 向後君ついにそこまで行っちゃった!?
・・・・いやいや、そんな突然ナルシストなんて(^^;
(以下3行某サイトコピペ)
自己愛には「歪んだ自己愛」もあり、歪んでいない自己愛を「健全な自己愛」と考えます。
自己愛とは読んで字の如く、自分に向ける愛情のことですが、健全な自己愛とは、自己の成長と自分を真の幸せへと導く愛情の事。
もちろん今回のテーマ自己愛は「健全」な方ですが、
日本人にはまだ「自分の事が好きだ」「自分を愛してる」と口にするのがカッコ悪い、恥ずかしい、変、という感覚が染みついてるようです。ホントは思っていたとしても、です。
仲の良い国、アメリカの人達の多くは”自分が好き”を当然だと思ってます。。。
そんな違いがどんな影響をもたらすか・・・・
まず自分の事を好きじゃない人が他人を好きになる事は難しく、
自分を愛してない人は他人を愛する事も難しい。。
潜在意識の中での事もあるので何とも難しいですが
日本人には遠慮、謙遜、自制、などと言って他人の為に自己の表現をストレートに表さない、
また、「自己犠牲」を美徳とする感覚も持っています
もちろん自分よりも他を優先できるという気持ちは必要であり大切なのですが
それが行き過ぎたり、履き違えたりする事はあまり良い事だとは言えません。
自分を大切にした上での自己犠牲なら良いのですが、ホントに自分を犠牲にして家族や会社のために働き続けてる人もいらっしゃいます。。
それでは病気になってしまったり家族とのコミュニケーションもとれなかったりして結果的に大きな迷惑につながりかねません
「誰の為に毎日こんな夜中まで働いてると思ってるんだ!?」
はい、自分のためです(‘ω’)ノ
家族はそこまでして収入を増やしてくれとは頼んでません。。
それでは本末転倒、自己犠牲と言う意味をはき違えると本来の気持ちの先にあるものとは正反対の結果になる事になってしまいます。
自分を素直に表現しない、自分を伏す、というのはたてまえ上、とくに日本人同士の間では礼儀とされてきました、
昔の将軍がお百姓さんをマインドコントロールするために考えた”お触書”の名残りかも知れません、
ですがそれはある意味、相手の心を読み取ることができる洞察力があったり、能ある鷹のように何か強い力があれば意味を成せる事です、昭和の高度成長までは備わっていたような気がしますが・・・
安倍さんも言います。もっと日本をアピール、もっとグローバルに打って出る。
「日本が置いて行かれないように!」
私もそれは思うところでもあります
自己アピール、自己の表現、若い頃には少々間違った表現をするかも知れませんが、それでも自分が無い、自分を押し殺す、よりはいいと思います
自分を愛するという事は少なくとも自分は健全であり、また深い意味があり、日本人も適度に把握していくことでたくさんのメリットとなります。
先にも言いましたが靴を履き違えているのと同じく、言葉の「履き違え」の方が目立ってしまいます、そんな間違った解釈とならないように前頭葉を働かせ「肯定的」に捉えていきましょう
何が言いたいかと申しますと。。。
肯定できる自分、きちんと評価できる自分
それには人として成長し続ける必要があります、また成長できる要素でもあります
そんな意味合いでの「自己愛」を、男性も女性も認めていきましょう
と、いうことになります(#^^#)
次回 打ち出の小づち【自己嫌悪から抜け出す方法】